ムハマド・ユヌス博士の講演会
ある日突然 私のもとへ
ムハマド・ユヌス博士の講演会のお誘いがfacebokメッセージで来たのです。
「世界の問題と解決方法に興味ありそうな方々に
メッセージをさせていただいてるんですが・・」と
以前お仕事をさせていただいた赤澤正純先生からのお誘いでした。
赤澤先生とはお久しぶりでテンションあがりました。
しかもお誘いの内容はムハマド・ユヌス博士の講演会!!!
私は飛びつきました。
貧しい人にお金を貸す銀行
グラミン銀行とその創始者のユヌス博士には以前から興味がありました。
ユヌス博士は外国人なだけに生でお話が聞けることなど無いと思っていました。
この機会を逃したらアカーンって行ってきました。
結論からいうとすっごい良かったです!
そんなワケでこの良さをなんとか知らない方にも知ってもらおうと
このブログに書こうと思います。
長文になりますがどうぞお付き合いください。
目次
舞台について
例年より早めに桜が咲いた2018年の3月26日月曜日。
場所は東京の表参道駅から徒歩5分の所にある「国連大学」の3階ウ・タントホールです。
坂の途中にある大きくてきれいな建物です。
私は行ったことのない場所だったので間違えてお向かいの青山学院大学に行きそうになりました(;^ω^)
1階ホールから2階に上がるエレベーターがあり、2階に受付がありました。
この会は事前申し込み制で指定口座に参加料7000円を振り込んでおき
当日受付で名前を言うと名札と同時通訳のイヤホンと資料と単行本を手渡してくれます。
単行本というのはユヌス博士の新刊「3つのゼロの世界」です。
この会はこの本の出版記念講演会なのです。
講演会は
- ユヌス博士の基調講演
- ユヌス博士と次世代の社会起業家によるパネルディスカッション・質疑応答
- EIP27周年記念プレゼンでーション
10:00~13:00のプログラムになっていました。
2階から3階にあがるエスカレーターに乗って
3階ウ・タントホールに行きました。
ホールは天井が高くとても広かったです。
一番低い所にあるステージから
中央と左右に分かれて机と椅子の列が波紋のように連なり
段々と高くなっています。(だから入口が3階なのか!)
ステージに近い前の5列が招待席で後ろは自由席でした。
観客は中高年の女性が多いように見えました。
私は開幕ギリギリに入ったので席が埋まっていてステージから遠い席に座ることになりました(;^ω^)
10時開幕ですが10時15分に始まりました。
ウェルカム
ソプラノ歌手 竹林加寿子さんがロングドレス姿でステージに登場しウェルカムソングを披露してくれました。
なんだかゴージャスでホオオオ~~(ノ´∀`*)ってなりました。
2分後 野村将揮さんによるウェルカムスピーチが始まりました。
最初英語で途中から日本語で語ってくれました。
イヤホンからは英語の部分がばっちり日本語で同時通訳が聞こえました。
野村さんは
家系に一人も大卒の居ない中、自分は東大に入りたいと思って
腰が折れるほど勉強して東大に入ったそうです。
そして
入学したとたん、自分が何をしたらいいか分からず途方にくれたそうです。
これは多くの学生にある事で人によっては大学時代を途方にくれたまま過ごしてしまうといいます。
ハーバードのカンファレスに交換留学生を10人送るプロジェクトがあって
野村さんはソーシャル・インパクトを知り、ユヌス博士を知った。と
内なる資産は生き様をもって後進に示せ。と
本当のリーダーシップとは事業を成功させるよりいかに次のリーダーを育むか。と
私は(゚д゚)(。_。) ウンウン良いこと言うなぁ、と聞きながらも
野村さんの早口についていけず結構聞き洩らしてしまいました。スミマセン・・・
次は出口光さんのスピーチが始まりました。
最初は英語でご挨拶されてすぐに日本語になりました。
ユヌス博士が日本に来られて勇気づけられる。と
以前、京都国際会議所でユヌス博士が講演されて
グラミン銀行の最初のお客さんの話をされ、そこで
最初のお客さんがお金を借りるまで説得に6年間かかった と言っておられたと。
文盲で仕事のない女性は銀行口座など持った事がないので時間がかかったそうです。
ユヌス博士に日本の志ある経営者を紹介すると博士は
教育で自分が何者であるかは教えてくれない。
本当の自分は何者であるかを自分に問いかけなさい。と言われたそうです。
(゚ロ゚)!!なんかもう、私は矢に打たれた感じがしましたよ。さらに続いて
先祖を敬う様に未来の子供を敬い
未来の子供のために働きなさい。
お金を儲けるために仕事をしても良いよ。
でも、もう1個 社会問題を解決するための仕事をしなさい。
自分の家族のためのファミリーケーションをしなさい。
それを早く卒業して
まっすぐ魂の中から何をすべきか問いなさい。
と、出口さんはユヌス博士の宗教観を紹介して下さり
出口さんのスピーチが終わりました。
ジワ~~~m(;∇;)m ・・・
とっても分かりやすい言葉で話して下さって、すごく響きました。
私はもうこの話が聞けただけで「来て良かった~」って思いましたよ。
ユヌス博士本人によるお話はこれからです!
ユヌス博士のお話
10時半になりまして、いよいよユヌス博士の登壇です。拍手~~
てっきりステージの袖から出てこられると思ったら
観客席から上がってこられました。前の招待席で座ってたんですね。
博士は英語で話しました。以下 博士のお話です。
私の経験を皆さんに語りたい。
貧しい人を高利貸しから守ってやりたいと思った。
高利貸しは貧しい人から何もかも奪ってしまう全部!持って行ってしまう。
元の貧しさからもっともっと貧しくなってしまう。
そこで私のお金を貸そうというアイデアが浮かんだ。
今考えてみると 私は教師として大学で教えていたので
これは研究プロジェクトにしてもいいかと思った。
学生を使って村に行って聞き取りをした。
3年したらジャーナルを出して高利貸しが何をしているかを書こうと思っていた。
だがやめた。
自分が貧しい人に何ができるか考えた。
自分のポケットからお金を貸したらそれが広がっていった、
私はもっと多くの人にお金を貸した。
1983年に銀行を作った。それがグラミン銀行で今も広がってます。
どこへ行ってもグラミン銀行がある。
道は通ったが私はこれから先も長いと思う。
グローバルにシステムがおかしい。
世界の人口の半分は誰にもお金を借りていない。
街に高利貸しが居れば銀行が機能していない。
1週間で10%利子を上げていく。
この高利貸しがビジネスである限りその状態がある。
貧しい人たちが貧しいままであることに何をすればいいのか?
貧しい人たちがわざと貧しくなったのではない。
システムがそうさせた。
システムからその種を失くせば貧しさをなくせる!
貧しくてもやる気があったりクリエイティブだったり起業家の資質があったりするのに
システムがそれをさせない!
そのシステムを変えるために努力してきた。
経済システムが貧しい人に酸素を送ればいい。
そうすればクリエイティブな資質が活きる。
豊かな国が何をしているかといえば、貧しい人には福祉。
国がお金を出すというシステムが抜けきらなくなる。
ルールが複雑だから福祉の中から出れない。
三代目の子供もその中で暮らし、生きることになる。
このシステムは人の何かしたいという気持ちを、イニシアチブを奪う。
世界中を見て
特に女性にチャンスが与えられない。
女性を通じて一つの家族を見る。
女性にお金を貸すと家族を救える。
システムをいかにデザインしなおすか?
貧困者のための問題解決の会社を作る。
医療、自分の自助努力で治すビジネス。
年金、年をとった時の不安解消のため、積み立て型の自立型年金。
ソーラーエネルギービジネス、村々にクリーンなエネルギーをもたらす。
バングラデッシュは女性の呼吸疾患が多い、調理の時の煙や灯油で病気になりやすい。
灯油からソーラーにシフトした。
病院もソーシャルビジネスにした。
問題をビジネスにしたこれは実践的だ。
1つの村からソーラーエネルギーの寄付を始めた。
彼らはハッピーになったが寄付を続けなければならない。
無償ではメンテナンスができなくなる。他の人のせいにする。
持続可能にするにはビジネスにしたい。
でもそれは、問題解決のためのビジネスでこれまでも経済理論では違う。
これはソーシャルビジネスと経済理論とどっちが悪い?
答えは経済理論が間違っている。
人助けできるんだから
人を助けるにはセオリーを直さなければならない。
問題解決が思いつかない。
私たちは利益追求するよう教育されている。
目にはドルのサインしか見えていない。仕事が見えていない。
正常な人間がお金を作り出す機械になっている。
世界中でそうだ。
経済学の思考が世界を決めている。
問題はすごく沢山あって長いリストを作れる。
ソーシャルビジネスに目を開くとすべてが変わる。
人間は今までと違った理論でやっていかねばならない。
今までの経済理論を作った人々は人間は自己中心的だという仮定にしている。
それは間違っている。
もっと利他だ!
社会をよくするための経済であるべきだ。
経済理論は誰もが仕事をしなければならないとしている。
私は若い人のためにそれは違う!と言いたい。
誰かのための就職をするために生まれたのではない!
自立するために生まれた!
就職、ジョブではなくエンタープレイナー、起業家になれ
自分が失業していると思うな!求職しているからだ!
融資した女性はみんな起業家になった。
文盲であってもなれるのだから大卒にできないハズがない。
大学生は教育で汚染されて恐れている。就職せねば、と
私は若い人に目を向けている。
あなた達は最高にパワフルな世代だ
あなた達は後ろを振り向かないこと!常に前に進むこと!
利益だけ見る目になってはいけない。
世界はあなた達の能力が活きる!
あなた達は力を使わないといけない!
力を使わないと力は消えてしまう!
目を醒ましなさい!
妖精のような力を持っている。
力を発揮しないと消えてしまう。
待つ必要はない!
様々な事を行うことによってできる!
人生を1段階、2段階に分ける
1段階は自分と家族のために尽くす。
贅沢ではない生活に要るお金を作ったら2段階へ行け!
自分は他者のため グローバルの責任を負え、何をしてもいい
第2段階は人生の最もクリエイティブな段階である。
幸運な方は時間を費やすことはない!
親が自分のために遺してくれたからだ!
だから世界のために尽くせ 25歳でもOKだ。
そこまで容易でない人は30年くらいかかるが
他の人が自分の問題を解決はしてくれない。
私が問題を解決すると決めてやってくれ。
そうしたら他の人も続く。
全世界の99%の富が1%未満の人に集中している。
なんという酷いことでしょう。
これは欺瞞と欺き 自爆するシステム。
その前に何とかしなければならない。
冨は皆に行き渡るように
上に集中するのを防がなければならない。
我々は彼らに雇われていない。
起業家だから自由だ!
若い人に教えていかなければならない。
就職準備している人間になったらいけない。
それはロボットみたいなものだから。
わたし達は人間だ!
本当に人生を生きる準備をできている人を育てて下さい!というメッセージを本に込めた。
今のシステムを覆し
皆さんに力を尽くしてほしい。
11時5分。ユヌス博士のお話が終わり、会場から熱い拍手が沸き起こりました。
私も立ち上がって拍手しましたよ。
翻訳の方は2人、前半と後半で交代して二人ともとても分かりやすい言葉で瞬時に伝えてくれました。
すごいです。
ユヌス博士は音楽のようにアップダウン、ロースピード、ハイスピードと話し方を分けてあり
聞いているこちらは引き込まれ、感じ入り、心の底から力づけられる感じがしました。
しかし、力づけられると共に私はスッキリ感等は無く
モヤっとフツフツとする感じが残りました。(←以後何日もずっと続く)
前世紀までのカリスマは「俺について来い!」と言っていたのに
21世紀のカリスマは「お前ら自分の足で立って歩け!」と言うのです。
ユヌス博士はそういう方だと知っていましたけど
お話を直に聞いて、力づけられて
私は
「お前さっさと秘蔵ネタを描け!」と言われた気がしました。
フツフツとします・・・。
この後
大杉卓三准教授が登壇されてスライドを使って「ユヌスさんの話を助ける10分講座」が始まりました。
「ユヌスさんの話を助ける10分講座」
グラミン銀行の「グラミン」とは「農村」の意味。
グラミン銀行は「マイクロクレジット」と名付けられた「無担保少額融資サービス」を行う銀行で返済率98%
バングラデッシュはインドの隣で人口は1億6000万人。(日本より人口密度が高い)1971年に東パキスタンから独立。
マイクロクレジットは担保ではなく個人の連帯で返済。(女性の利用率が97%)女性5人のグループを作って助け合う仕組みがある。
ユヌス博士は常識を覆す認識と持ち、仮説を立てて実践。
ユヌス格言
既存の銀行をよく見てあらゆるものを反対にしてみた
グラミン銀行では銀行員が自転車で村に週1回訪問する仕組み。(銀行で客を待つのとは反対)
ユヌス博士はアイデアを握りしめずに世界にシェア。
貧困脱却のツールになり、医療など他部門にビジネスが行きわたった。
ソーシャルビジネスは社会問題解決のためのビジネスで7原則がある。
大杉教授はこの7原則を見て
これは実践は大変だと思います。しかし「楽しみながら」と入っています!と言っていました。
大変な事を楽しんでやるのが一番の高等技術かも(^_^;
グラミンの活動をまとめた本もある。と紹介されて大杉教授のコーナーは終わりました。
アシル・アハメッド先生のお話
11時20分になりました。
九州大学準教授のアシル・アハメッド先生が登壇されました。
先生は民族衣装を着て外国的な見た目で、最初から日本語で語ってくれました。
先生はインドの高校を卒業して日本に来て高専に入って東北大学に入り
NTTでIC電話の開発をしていたそうです。
日本に来て初めて漢字を見て、1文字ごとに意味がある事に驚いていっぱい勉強したそうです。
そしてご自分の名前に漢字をあてたのでした。
「亜志留」(アジアから志を持って来た留学生)と説明してくれました。
会場から拍手~~
今は九州大学でグラミンプロジェクトをやっているそうです。
冨を上に吸い上げられないようにコミ二ティでお金を回す方法。
途上国でやったことが先進国で使える。
日本はインフラがすでにあるのでその上でICインフラがあれば便利。
途上国はインフラがまだ整っていないのでICシステムがベーシックインフラをもたらす。
バングデッシュは1万人の患者に3.5人しか医師が居ない。(田舎はもっと少ない)
看護婦さんはもっと少ない。
感染症以外の病気で死ぬ人が割合多い。
そこで遠隔音声医療システムを作った。
コールセンターに医師が居て24時間体制で相談を受け付ける。
1日1万5000件位電話がかかってきて3交替で回している。
しかし、患者の元に体温計などの計器類が無く困ったので
ポータルヘルスクリニックシステムを開発
小型の計器類を一まとめにした鞄を持って女性ヘルスワーカーが歩き回り
地域の人々の健康診断をして手入力でカルテを送信
送られたカルテを見て医師が処方箋を書くというシステム。
このシステムで62%の患者を対応できる。
医師への負担が減って医療コストも減る。
このヘルスワーカーの育成はどうやったらできるのか?
バングラデッシュで研修をしてトレーニングをして
5~7人が日本に来て技術トレーニングを受けて
バングラデッシュに帰って指導者になる。
課題はたくさんあり、女性の方はトレーニングしやすいけれど
良い医師が居なくて困っている。
遠隔医療は手入力なのでエラーが多い。
医師はもともと手書きばかりだったからPC慣れしてない。
そこで今
医師が手書きしたものをそのままPCに取り込めるスマートペンを開発しようとしている。
こういうのは先進国の被災地や高齢化地帯でも活きる。
最近、トヨタとモビリティ協力して途上国のローカルエリアにある
カーシェアシステムのプラットホームを作っている。と
亜志留先生はホノボノした話し方で大きな仕事の話をいっぱいしてくれました。
とっても具体的で実践的でナルホド~って感じです。
もっと面白い話がたくさんあるんだろうな~~という所で
お話は終わりました。
11時40分になってました。
次に川村卓也さんが登壇されました。
川村卓也さんのお話
川村さんはお父さんの会社を受け継がれ
自動車のタイヤやパーツを日本から中東に送る中小企業の社長をされています。
ご自分でけっこう「中小企業」を強調されます。大学の先生の後で聞くには話が下手ですが・・・って(;´∀`)
川村さんは「誰でも途上国でビジネスできるって思ってもらいたい」と言っていました。
去年から海外に拠点を持つようになって
アフリカのセネガルに子会社を作った。
日本ではパーツの扱いしかしなかったけれどセネガルに行くとパーツの問題ではなく
修理工場が無かったので工場を立ち上げた。
単品の問題解決はできるけど社会問題は入り組んでいるので
オールジャパンの中小企業で合併していこうと思い
社名を「グラミン・ジャパン・オート・ワールド」と「ジャパン」を入れて
就労困難者と呼ばれる人を積極的に採用している。と
留学生の雇用には問題があると。
日本で勉強した人には殆ど仕事がない。
日本の仕事は労働しかなく、勿体ない。
自分の本業で何かができないかを考えた。
ソーシャルビジネスをやりたくてやっているのではなく
問題解決のためにやっている。
10年前アメリカに居て
総ての経営戦略はいかに株価を上げるかになっていて
みんな奴隷の様に働いているのをおかしいと思った。
ユヌス博士の本を読んでこれだ!と思った。
物を輸出するだけではなく、途上国の人の役に立ちたいと思った。
「想いは必ず実現する。
どんな人でも想いを持てば必ず実現する!
どうせ持つなら美しい想いを持って下さい。」と
川村さんのお話が終わりました。
私、「どうせ持つなら美しい想いを持って下さい」というのがグッと来ました。
美しくない想いも持ってしまえば叶ってしまうのかと思うと
「想いは必ず実現する」という言葉に説得力ありますね。
心が綺麗でないと危ないな~(;^ω^)
5人の社会起業家とユヌス博士のパネルディスカッション
11時55分になって
ここからは日本の5人の社会起業家の方とユヌス博士とのパネルディスカッションが始まりました。
最初に司会の大滝精一教授が
2012年にユヌス博士が東北大学で講演してくれた。と
あの当時はソーシャルビジネスをやるような雰囲気ではなかったけれど
その後、多くの起業家が現れた。と
ユヌス博士に感謝を伝えていました。
今回のパネリスト5人は3つのゼロにチャレンジしてる人たちだそうです。
左端に司会者の大滝精一教授が座ってその横に起業家の牧浦土雅さん、杉山孔太さん
真ん中にユヌス博士、その右隣にエドモンド・フェルナンデスさん、
その横にフシミタカヒトさん、その横に日下部智海さん、
横一直線に並んで座って左から順に起業家の方が自己紹介をザッとして
それからまた同じ順番に一人づつお話をしてくれました。
このブログでは自己紹介とお話とを以下にまとめて書きました。
牧浦土雅さん
自己紹介
牧浦さんはこの日、アボガドソックスで来たそうです。
昔、ユヌス博士の本を読んで何をしたらいいかは分からなかったけれど
とりあえずアフリカへ渡ったそうです。
お話
ここに来るちょっと前にバリ島のネクサスのイベントに招待されて行ってきたそうです。
参加者の60%がロスチャイルドとか世界の財団で残りが社会起業家達で
双方を繋げる目的のイベントだったとか。
ソーシャルビジネスと言っているのは日本とユヌス博士くらいだそうで
牧浦さんは
「我々のサービスを使った人がその後どうなっていったかロングタームで考えるのが社会起業家なんじゃないか」
と言っておられました。
日本のODAをもっと教育支援に使って貧富の差を縮めようとしている。
今まで儲からないからって教育が後回しになってきたけれど政府に教育の重要性を説いて予算をまわしてもらう。
と言っておられてカッコ良かったですね。
私は、すごーい!!頑張ってください(≧∇≦)/.+*:゚+。.☆って思いました。
同時に政府の説得ってどうやってるんだろう?とも思いました。
杉山孔太さん
自己紹介
次の杉山さんは、現在34歳で今日のソックスは白だそうです。
子供6人兄弟7人って言っておられました。
お父さんが開発した撒くだけで水をキレイにする黒い粉を世界中の河川にぶち込みに行っているそうです。
(’◇’)何だ?黒い粉って何だ??お父さんの代から地球環境問題に取り組んでるんですね~~。
お話
ひと月のうち半分は海外、主に東南アジアを回っているそうで
地球環境がかなりヤバイ状態だと言っていました。
日本も経済発展するときに酷い公害を出して水俣病などが発症したけれど
今、世界の8割の地域が以前の日本と同じ事を一斉に始めた
人間が住める環境を維持していくために何かしないといけないと思う。と言っておられました。
そこで杉山さんは
お父さんが開発した撒くだけで水をキレイにする黒い粉を世界中の河川にぶち込みに行っているそうです。
杉山さんは全人類の76億人は技術があるのに気がついていない。といいます。
30年前は電話がポケットに入るなんてありえないと思っていたけど今は入っている。
こういうバカが頑張って、次の人がついて来たら、と思う。と
杉山さんは自分をバカ呼ばわりしてから
「3年で世界の川をキレイにします!」と宣言されました。
会場は好意的にウケてましたが
なんだか私は地球環境がちょっと心配になりました(;´д`)
人間のシステムに何かをするのではなく、自然の方に手を加えるの?って
3年でキレイになってその後、自然からのしっぺ返しとかないかな?って
こんなの杞憂なのかな~とも。
杉山さんってお父さんがすごい物を開発していていいな~と思ったんですが
杉山さんよりお父さんの方が羨ましい!いい息子が居ていいな~~
自分の夢を息子が引き継いでくれるって最高ですよね(*´д`*)
エドモンド・フェルナンデスさん
自己紹介
次のエドモンド・フェルナンデスさんは
災害管理、健康管理のCHグループを作ったそうです。
会場に向けて
「皆さんの仕事に対するコミットメント、生き様そのもの
皆さん自分に拍手!」と言ってくれました。
お話
私はこの方の話し始めの時に迂闊にもイヤホンを外していたので
慌ててつけて内容が聞き取れ出したら
「患者がたくさん死んでいくのを見ていた」から始まりましたΣ(゚д゚lll)
フェルナンデスさんはインドの医師です。
患者は入院したら生きて出られない環境で
あと二日で亡くなる人に入院費をとるなんてできない。と
ソーシャルビジネスを始めるきっかけになったといいます。
「あなたの人生のオーナーはあなたなんです。
医者に行く前に決定権はあなたにある。」と言っていました。
インドでは医療費が少なく、GDPの1%しかない。
しかしお金をかけている国の人は健康か?と外国の医療システムをモニタリングしたいと思った。
政府はやてみて要るお金を調べよ。と言ったので
我々は政府に働きかけて政策を動かして6ヶ月で成果が出た。
200万人の人が安全な健康状態を手に入れた。と
フェルナンデスさんは初めは学生で何も知らなかったそうです。
ユヌス博士の話を聞いて根本的解決にならないと思った。と・・・
25歳で政府の顧問に抜擢されてあちらこちらの機関へ行き
若いからとおちょくられた と言ってました(;^ω^)
フェルナンデスさんは更に続けて
若いうちは間違うこともあるが世代間コミュニケーションで叡智は育まれる。
若い人は他人の仕事をとる競争をしているのではなく自分と競争している。
日本もインドも問題が多い。災害も貧困も多い。
でも良い計画もある。
安部総理がナショナルエベリアンス計画をもたらした。
火事や災害にあったらどうするか?
全滅するような心配よりもリラックスしましょう。
ソーシャルビジネスはこれから始まります。と言っておられました。
フェルナンデスさんはかなり早口で、ちょっと分かりにくかったです(;^ω^)
それでもフェルナンデスさんが行動を起こしてインドを変えて行ってるんだと分かりました。
若い人でも政府を動かしたりできるんだっていう凄い実例だと思います。
フシミタカヒトさん
自己紹介
(フシミさんは「Takahito Fushimi」というローマ字表記で通されているようなのですがこのブログでは他の外国の方と同じようにカタカナ表記にしました。)
フシミさんはシンガポール生まれでアメリカ南部育ちで日本に来てからショックを受けて
「Hラボ」という教育ラボを立ち上げたそうです。
CSA教育システムというプログラムに参加して限界を感じて辞めて
今は社会法人をしていると
金融商品を開発し民間の資金を社会問題に回せるようにしていると
仙台でパイロット版をやっているそうで
これから全国に仕向けていきたいと言ってました。
フシミさんは「今までの人が課題を話してくれた」と言って話し始めました。
日本は資格が無いと「話せない」となるけれど
分からない事が武器になる。と言っていました。
誰も社会起業家と思ってない、社会問題を解決したいと思っているだけだ。と
責任と権利を執行しようとしているから何をしたらいいのか分からない。
フシミさんは
自分の世界観を実現出来るかどうか
若い人はもっとやれると思って欲しい。と言っていました。
皆さん、言語の違う人々ともっとパートナーシップをやっていかなければならない。
日本はもともと株主至上主義ではなかった。地域のため人のためだった。
我々は「三方よし」ではなく未来を入れて「四方よし」を心がけている。と
.+*:゚+。.☆(*゜д゜*).+*:゚+。.☆
未来を入れて「四方よし」というのは感動的でした。
「三方よし」もけっこう難しい、理想だと思っていたのにここまで意識が高いだなんて凄い!!
日下部智海さん
自己紹介
最後の日下部さんは明治大学の3年生だそうで
昔、海外旅行に行った先で無一文になって現地の人に助けてもらったのがキッカケで
この人達のために何か出来ることはないか?と思ったそうです。
そして今はハピソン誌に難民に関する記事を書いているそうです。
お話
半年バイトをして半年外国に行ってスラムで暮らす生活スタイルで
現地で見てきたこと体験したことを雑誌に書いているそうです。
自分で今までのパネリストさん達より一歩手前に居ると言っていました。
以前、イスラム国の驚異を確認するためにトルコに行って
アポなしで学校生活をして驚異は無いと確認し、記事に書いた。
と言っていました。
喋り方はゆっくりであまりたくさん喋ってくれませんでしたが
この人の書く記事は面白いだろうな、と思いました。
危険を顧みず世界各地へ行ってそこで半年暮らせる能力は凄い!
私は真実を伝えるジャーナリストは世界の宝だと思ってます!
しかしこの生活スタイルで何故大学生をしているのだろう?と思いました。
余計なお世話か(^_^;)
ここで司会者さんからアナウンス
今日のこの講演会のあと、14時から別の場所(日本財団)で
パネリストとユヌスさんとで質疑応答会をする。と言われました。
第一部に参加した人は無料で入れるのでぜひ来てくださいって。
ヽ(´Д`;)ノ
行きたいけど行けませんでした~~
私は暇な日は多いのにこんな時に仕事があったのでした(´;ω;`)
時刻は12時25分になりました。ここからは5人の社会起業家とユヌス博士の質疑応答です。
5人の社会起業家からユヌス博士への質問
フェルナンデスさんの質問
先生のようにビジネスを始めたとき、高齢の社長をどう説得しましたか?
ユヌス博士の答え
私は誰も説得しなかった。
他の誰かにお金を貸せと言わず自分のお金で始めた。
1ジャンプで100歩進めようなんて思わない。1歩1歩やっていく。
自分がこれをやるべきだと決めてやる。
大銀行の人にやっている事が悪いと言った。「けしからん」と
いつも議論があってそれに応えていた。
自分のお金を使ってやるべきことをやって、その後の事を銀行に「やってみろ」と言った。
自分が保証人になると言って銀行にお金を出させた。
だんだんと悪口になっていった。銀行が譲った。
自分が何をしたければ自分でやれ。誰にも頼るな。
1口で齧り付くな。なるべく小さな1歩を踏め。
友達と一緒にやりなさい。一歩一歩。
アイデアは大きく、歩みは小さく。
「アイデアは大きく、歩みは小さく」っていい言葉だな~と思いつつ
誰にも頼らず一歩一歩自分でやっていくって・・・
やっぱりそれなんですか?と、全部の回答がこれで足りそうだなぁ~と思いました(^_^;)
牧浦さんの質問
日本には「受動喫煙禁止法」という法ができて
日本政府は国民の健康を守るんでしょうけど煙草の会社の株は役所が多く持っています。
年配者は権威を守りたがりそういう人が選挙に行きます。
この文化はどうしたらいいでしょう?
ユヌス博士の答え
実例を挙げると政府が市民の願う通りに動いてくれない場合
市民のグループが市民として動いていくことが大事。
喫煙のレストランに行かない、等
喫煙には反対です。と行動で示す。
自分達が支援する方のお客さんになる。
逆に「ここにくれば喫煙できますよ」というオーナーも現れるでしょう。
分煙のレストランも必ずしも健康被害が防げるとは限らないので
「禁煙じゃない所には行きたくない」と示すべき。
牧浦さんの質問②
グラミン銀行の返済率98%というのは2%は何ですか?
ユヌス博士の答え
期限切れの人です。
100日以内に返済という制約があり
99%返済していても1%間にわなければデフォルトになります。
翌週には返してくれたりします。
全く返済しない人は0.05%以下で4年後に返済してくれたりすることもあります。
こういうケースは帳簿には記せないのでこちらのコストとして計上しています。
と言っていました。
この質問は私も気になっていたのでよくぞ訊いてくれましたって思います。
回答もナルホド!と思い、スッキリしました。
12時43分になり
観客席の人々に質問が訊かれました。
挙手してマイクを受け取ったのは18歳のウガンダ人留学生でした。
観客席からの質問
利他のビジネスについて高校で学びした。
他の人がモチベーションを乱してきます。
やる気を折られて潰されそうになります。
若者として更に若い人にどう係ったらいいのか?
ユヌス博士の答え
親が子供にソーシャルビジネスを教える。
ビジネスは2つの目的があると
今の教育システムでは教えるのが難しい。だから親が子供に教える。
ユヌス博士は続いてお話されました。
ウガンダではソーシャルビジネスが実践されています。
学校の飲料水を何とかしようと清潔な水をタンクに溜めて飲めるようにしました。
ソーシャルビジネスは学校と契約して
子供は水にお金を支払わず学校の月謝から代金が支払われる契約になっています。
今、1200の学校がこのソーシャルビジネスの若者と契約しています。
上手く行ったら後に続く人が出てきます。
牧浦さんが観客席に降りていて質問者の18歳の男性の元に行き
「ウガンダは起業家精神旺盛な国、頑張ってくださいね。」と言って励ましていました。
ここで12時49分になり一旦お開きになりました。
観客席を発って帰る人もチラホラ居ました。
しかし12時51分には
ステージ上スクリーンに主催者団体である
アースアイデンティティ・プロジェクト(EIP)のビデオが映し出されました。
EIPのプレゼンテーション
世界各地の子供たちが大きな紙に好きな絵を描いている楽しげなイベントの映像で
アースアイデンティティの河原裕子代表が子供たちに「好きな絵を描いてくださいね~」と言っていました。
~1996年バングラデッシュで1つのプロジェクトが始まった~
子供の描いた絵が繋がる。
世界中の子供の平和への願いを絵にする。
子供たちの意識を平和とクリエイションに向ける。
映像とは別に
土谷佳代子さんが登壇していて会場に語りかけてきました。
AIは人間の精神を持つ事が出来ると思いますか?
私はイエス。と思います。
AIによって提供されるサービスはエンジニアやデザイナーの想いを何倍にもする。
これからの時代はAIによって人間の想いが拡張されます。~
1996年にした「世界一大きな絵」プロジェクトを再び2020年に開催すると主催者からのメッセージでした。
「考案者の社会芸術家の稲吉紘実氏に大きな拍手を!」と土谷さんが言って 会場拍手~~
土谷さんはつづけて
自分もワーカーホリック気味ですが河原さんには敵いません。
社会に貢献したいと言うのは簡単ですがこれだけ実績を築く人は数%しかいません。
河原さんや稲吉さんは超人と呼ばれています。と
続いて新しいプロジェクトの紹介がありました。
タイのモン族の作ったヘンプをバングラデッシュで布に織り
その布を日本の東北の女性が縫って
稲吉さんがデザインして世にリリースする。というプロジェクトで
物を繋げるより女性同士をつなぐプロジェクトだそうです。
マネジメントを担当した一人の若者が会場に来ていて紹介されました。
観客席から立ち上がったのは褐色の肌の若い女性でした。
「EIPファンデーション」を今後ともよろしくお願いします。
映像と土谷さんのスピーチが終わりました。
映像の力もあって華やかでした。
続いてアースアイデンティティの理事 佐々木喜一さんのスピーチがありました。
1日一緒にいれば分かりますがユヌス博士の根源は愛です。
EITは27周年
先生方、スタッフ、集まってくれた人に感謝
皆さんこれから頑張りましょう~
と言っておられました。
13時8分になって
私はもう帰ろうかな、と思ったのですが
稲吉紘実教授が登壇されてスピーチが始まりました。
私は勝手におっかない人のイメージを持っていたのですが
とても若々しく気さくな感じでハキハキ話す方でした。
稲吉紘実教授のお話
ユヌス博士は私の事を友人と言ってくださる。
皆さん、偉人の本を読むけれど本当にその人を知るにはその人に会うべき
その人にふれてほしい。
私は32年前28歳の時、グラフィックデザイナーをしていて
あこがれの人、フォロンに仕事を依頼したら
同じ時期にほぼ同じ依頼があったらしくて
フォロンが2人を招いて会わせてくれた。
それは28歳のスティーブン・ジョブズだった。
私は仕事は1文字1文字mm単位の字間調整を手作業でする仕事をしていた。
ジョブズは感激してその仕事をマックに取り入れた。
その時私が着ていた服がイッセイ・ミヤケの服で
どこで売ってるの?と言うから
一緒に店に行って服を選んであげた。
ジョブズは日本に興味を持ってマックもあのようになった。
ジョブズは病気になって亡くなった。
61億もってたって治せない病気になった。
ジョブズは「死にたくない」と言っていた。
そんな死に方をしたら失敗者だと思う。
ユヌスさんは多分「これで良かった」と言って亡くなるでしょう。
皆さんも死ぬ時は「これで良かった」と言って死のう。
どうやったらそのように生きられるか 私は知っているが
皆さんにはそれぞれの生き方があるでしょう。
ユヌスさんの様にその功績が後々まで語られる様になりましょう。
今日は若い方の話を聞いていて
「ふざけんな」と思ったり「いいなぁ~」と思ったりしました。
私はユヌスさんに会うと泣きそうになる。
皆さん、今日は27周年に来て下さってありがとうございます。
私はなんだか ジ~ンとしました。
私も絵など描く者ですから
グラフィックデザイナーだった教授の話は他の人よりも身近に感じました。
私は机に向かってコツコツやる仕事で他人との関わり方、社会との関わり方
ソーシャルビジネスとの関わり方がどうすればいいのか分からなかったりします。
教授は「皆さんそれぞれの生き方があるでしょう」っと言って
ご自分の知っていることを教えてくれなかった。
「自分で考えてね」ってことなんでしょうね。
13時16分になり、主催代表の河原裕子さんが登壇されました。
河原裕子さんのお話
時間が押していて「ひとこと」と言われたので「ひとこと」と 言いつつ
河原さんはこの会に尽力してくれた人々の名前を何人も言って行って
「本当にありがとうございます」「ありがとう・・・」と言って
ブワッと涙がこみ上げて泣き崩れて言葉が出ない様子でした。
河原さんは先ほどの土谷さんの紹介で
超人的パワーで実績を出しまくった人だと聞いていましたが
そのパワーの源は「感謝」なんだろうな、と思いました。
ユヌス博士の根源が「愛」である。というお話も聞いていたけれど
お二方とも感受性が豊かで、とても感激屋で
他の人が通り過ぎていくような事にも熱く感動して
動かざる得なくなるんだろうな
そうして後々まで語られる功績が積み上がっていったんだなって思いました。
すごい、すごい、実績を作る人の何がすごいのかは感受性なんだな、と
私は河原さんの言葉にならない涙のスピーチで納得がいったのでした。
実は私は
河原裕子さんのお話を聞いて
この納得感を得た事が書きたくてここまで書いたのでした。
数字などメモが怪しいところは書きませんでしたし
各々の語り口調の語尾も「~だ。」等単調に切ってしまいました。
それでもこんなにも長くなるとは(;^ω^)
ここまで読んでくださった方
お疲れ様です!
そして
ありがとうございました(≧∇≦)/
Comment
Prof. 稲吉紘実です。
ご無沙汰しております。
ムハマド・ユヌス博士の講演会
の文章内に、人名の間違いが
ありましたので、訂正をお願い致します。
ホルンではなく、フォロンです。
ィッセー・オガタではなく、イッセイ・ミヤケです。
上記、かなり前から気づいていたのですが、
ご連絡遅くなってしまいました。
特にィッセー・オガタとイッセイ・ミヤケでは
全く別人なので、よろしくお願いします。
あこがれの人、ホルン←フォロンに仕事を依頼したら
同じ時期にほぼ同じ依頼があったらしくて
ホルン←フォロンが2人を招いて会わせてくれた。
それは28歳のスティーブン・ジョブズだった。
私は仕事は1文字1文字mm単位の字間調整を手作業でする仕事をしていた。
ジョブズは感激してその仕事をマックに取り入れた。
その時私が着ていた服がィッセー・オガタ←イッセイ・ミヤケの服で
どこで売ってるの?と言うから
一緒に店に行って服を選んであげた。
ジョブズは日本に興味を持ってマックもあのようになった。
稲吉紘実様
コメントをありがとうございます。
人物名を誤って記載していて大変申し訳ありませんでした。
ご指摘の点は記事中で以下のように改めました。
遅くなって申し訳ありませんでした。
あこがれの人、フォロンに仕事を依頼したら
同じ時期にほぼ同じ依頼があったらしくて
フォロンが2人を招いて会わせてくれた。
それは28歳のスティーブン・ジョブズだった。
私は仕事は1文字1文字mm単位の字間調整を手作業でする仕事をしていた。
ジョブズは感激してその仕事をマックに取り入れた。
その時私が着ていた服がイッセイ・ミヤケの服で
どこで売ってるの?と言うから
一緒に店に行って服を選んであげた。
ジョブズは日本に興味を持ってマックもあのようになった。