古今の情報伝達について思った事
年の瀬にやったことのない事に挑戦して
やり方などを検索したり本を見たりして
読んだりメモをとったりして文字を使いまくっていました。
文字がない時代や地域はどうしていたんだろうって思いました。
そりゃあ~~口伝だろうって
経験豊富な人に教わったんだろうな~って
もしくは言い伝えとかまた聞きのまた聞きで伝言ゲーム的に伝統にのっとるとか
爺や婆、年上の人が尊敬され威張っていただろうな~などと思いました(^_^;)
文字が彼らの権威を奪ったのでしょうか?
便利な物が出てくると役に立っていた存在が隅に追いやられてしまう(´・ω・`)
今、テクノロジーが発達して読み上げ機能とかもいっぱい出てきてるんで
文字の読み書きもやがてしなくなって
文字という便利なものも隅に追いやられてしまうのかな?と思いました。
そして
口伝で全部伝えていた時代は今の喋りなんかよりもっと伝わる言い方があったんだろうな~~って思いました。
そしてすぐに
歌がそれだ! って気がつきました。
和歌とか 日本以外でも似たようなことをしていた民族は多いと思います。
古代人は歌を詠みまくっていたけれどあれが
伝えやすく受け取りやすいコミュニケーション術だったのでしょう。
文字のある時代にも大いに歌は詠まれてましたが
文字のない時代にはもっと歌ばっかりだったんじゃないかなって
詠唱でミュージカル状態??
なんか素敵ですねヽ(*´∀`)ノ
古事記を作るとき稗田阿礼って人が民間伝承を教えてくれて活躍したって
中学校で習いましたが
あの人は組曲のような歌物語を伝承していたんじゃないかな?って思いました。
それならインプットもアウトプットもしやすそう。
膨大な量の伝説をうんたらかんたら語りだしたのは文字の時代からかもしれません。
そして今は
和歌で独自の考えや想いを伝えたり受け取ったりするのは
特別な教養なしではできないことになってます。
今 便利に使っている文字もやがて別のものにとって代わられて古典教養になるのかな?
そして権威ある人々が隅に追いやられるのかな?
歌はどうやって習い覚え、身につけるのか分かりませんが
読み書きを覚えるのは大変でした。
新しい何か便利なものを使い始める時
それまでの便利なものを手放して
また猛勉強をするハメに・・・
テクノロジーが発達したってね~
機械の使い方を覚えなきゃいかんわけで
それまでそんな事学ばなくてもよかったのに
いつの間にか必須教養になって・・・
うまくできないと便利が不便に・・・・
あああああああああああ・・・・・
時代の転換期なんかに生まれたら大変だあああ~~~
そんな事を思いましたヽ(・∀・)ノ