主婦をしながら漫画・イラスト制作してます。常夏さわやのブログ

「表現の不自由展・その後」の中止から考えたこと

 
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常夏さわや(tokonatsu sawaya) 1981年神戸市生まれ 現在埼玉県川口市で夫と二人暮らし。  まんが、イラストの受注製作をしています。

表現の自由について考えたら投稿が滞ってしまいました(;^ω^)

自由ってなんだーーーー

漢字を見ると「自らに由る」となる。

誰のせいにもせずに自分でやりました。って責任を自分で負うこと。

いわば自分で責任を負える範疇に置いては好きにしていいよってことかと。

こんな話をすると自分が縛られそうで嫌なんだけども:(;゙゚’ω゚’):

表現の自由は青色天井ではない。

表現の自由は自分の身の丈サイズ??

まぁ説得力や影響力はやっぱり身の丈サイズになるのでしょう。

色んな審査を通して表に出る物は

審査した人の分まで信用が重なっているでしょう。

その信用は多くの人を引きつける。

そして多くの人に表現を見せた後

好かれたり嫌われたり 結果を引き受ける。

今後の信用にかけて引き受ける。

見た人がその表現を嫌になって抗議をするのも自由。

ただし自分が何者か明かさずにする抗議は

弱虫の牽制であって抗議にはならない。

嫌だからこっちに来ないでくださいと言っているようなもの。

 

派手な脅迫をすると逮捕される可能性もあるけれど

それでもやりければ本人の表現の自由。

みんなが自分の責任の範疇で自由にやるのは結構だと思う。

衝突が起きても「理解を深めるためのふれあい」になると思う。

その表現を誰がやったか、文句を言う先が分かっているのはまだ安心。

 

誰が表現したのか分からないものは怖い。

弱虫の牽制は相手も弱虫にさせる。

誰だか分らないようにした弱虫の牽制が

他の人の見る自由や表現の自由を奪ったら

けっこう酷い事をした事になる。

もう強盗レベルに酷い。

バレなきゃいいと思っているならやっぱり正義ではない。

負うべき人が負わなかった責任は社会に投げ出される。

理不尽となって誰かに災いをもたらす。

 

あいちトリエンナーレの「表現の不自由展・その後」は

私は展示を見てないので

あまり言える事がないのだけどネットなどで知る限り

どーしてもかつての戦争を思わせる。

芸術における表現の不自由はもっとあちこちにあるハズなんだけども

「あの戦争について考えて!」ってことなのかと。

そんなわけで考えたのですが

日本は敗戦処理がうまくいってない。

あの戦争について韓国との認識の違いは凄いと思う。

日本国内の一人一人の認識もけっこう違っていると思う。

それで国内最大級の芸術祭の中に「平和の少女像」を展示するのは凄い勇気!

バカなの?ってくらい蛮勇にも思えます。

 

ドイツは敗戦処理に

当時の責任者(主に軍人)を地の果てまで追いかけて捕まえて

裁判にかけてそれなりの刑にしている。

その上で戦争で迷惑をかけた民族の生き残りに金銭を払い続けている。

ドイツは個人レベルで責任を追及したので敗戦処理はうまくいっている。

日本は個人には個人の責任を強く追及するけど

でかい団体や組織のした事は全体責任にして広めて希釈してぼかす。

責任者が居てもどれだけ責任を負うのか微妙。

日本は性格的に今も昔も同じ。

なんの決定権もなくひたすらに被害者でしかなかった人にまで

責任を負わせて負わされた方は声も出せずに潰れてしまったりする。

あ~あ、かわいそうに。なんでこんな事になったんでしょう。って

世間はささやなかな同情をして終わりにする。

日本には日本のやり方があって それは自由なのかもしれない。

この自由はどこまで通用する自由なのか・・?

世界が認識する責任に向き合わねばならぬ日が来ているのかも・・・

どうしたら良いのか。考えると 怖いです。

 

「表現の不自由展・その後」は中止した事も含めて

すごく考えさせられます。

正直、イヤになっちゃいますヽ(;▽;)ノ

 

 

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常夏さわや(tokonatsu sawaya) 1981年神戸市生まれ 現在埼玉県川口市で夫と二人暮らし。  まんが、イラストの受注製作をしています。

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