沖縄スパイ戦史を観た感想
8月1日に「沖縄スパイ戦史」という映画を観てきました。
荻原チキ氏のラジオ番組でこの映画の特集があって気になったのです。
映画館にいったら満員で立ち見までいました。
沖縄戦というと日本で唯一地上戦となって
民間人の犠牲者が多く出たことで有名ですが
米軍が上陸してきた沖縄南部の話が殆どで
北部の山間部や沖縄本島以外で
ゲリラ戦やスパイ戦が繰り広げられていた事はあまり知られていません。
この映画は米軍が残していた写真や映像資料を用いつつ
当時を知る人たちのインタビュー映像でつづるドキュメンタリーです。
ネタばれしますがこの感想文を読んでから映画を見ても見応えは変わらないと思います。
長文になりますがどうぞお付き合いください。
- 陸軍中野学校の卒業生たち
- 護郷隊
- 波照間島の悲劇
- スパイリストと住民虐殺
- 軍隊は何を守るのか?
- 何を信じるのか?
- この映画の中で好きなエピソード
- トークショー
目次
陸軍中野学校の卒業生たち
沖縄戦が始まる半年~3ヶ月前くらいに
戦争で男手の減った沖縄諸島に
日本軍から20代前半の若き将校達が42人配備されました。
各島で一人か二人づつくらいですが
彼らは軍人らしからぬ軍人で
長い髪をポマードで固め、私服に身を包んだ姿で
都会的でカッコよくって気さくで優しくて
アッという間に島民の心をつかんでしまいました。
彼らは陸軍中野学校というスパイを養成する学校の卒業生で
秘密任務を負って沖縄諸島にやってきたのでした。
護郷隊
沖縄北部の15~18歳くらいの少年達に赤紙が来て
「護郷隊」という遊撃隊(ゲリラ)が組織されました。
隊長は陸軍中野学校出身の若き将校。
少年達はブカブカの軍服を着て自分の背より長い銃を持ち
闇にまぎれて米軍の食糧庫や武器庫を爆破したり
米軍と銃撃戦をやったり
わざと捕まって逃げて情報を盗んだりして活躍しました。
遊撃隊なのであちこちの戦場へ移動しまくるのですが
どこへいっても死にそうな現場です。
米軍の攻撃でこっぱみじんにされた少年も居ます。
爆弾を背負って戦車に突っ込まされた少年も居ます。
生きのびても生きのびてもまた危ない所へ行かされる。
怪我をしてもロクに手当されず動ける限り動く。
動けなくなった少年兵は
敵の捕虜になって情報を流すのを防ぐために隊長に撃たれました。
怪我人を助けている暇があれば敵を10人やっつけろという方針。
武器がなくなれば敵の武器を奪ってでも戦え!と
少年兵は教えられたとおり素直に従っていきます。
それでも戦線がもうどうにもならなくなってから隊は解散して
少年兵らと将校は別行動になったのでした。
少年兵は自力で故郷の村を目指して歩いて行き海を泳いで渡って帰りました。
映画の主人公となっている良光二等兵は幽霊みたいに痩せ衰えていて瀕死で浜にたどり着き
お母さんが飛んできて「なんでこんな姿になったのー」と叫んでいたといいます。
他の隊長に殺されてしまった子のお母さんは嘆き過ぎて気が狂ってしまって
食事もとれなくなって寝たきりになって残された兄弟たちに強烈な印象を残しています。
良光二等兵は戦争が終って大人になってからも心の中で戦争が終わらず
発作的に暴れて家の壁を壊したりするので座敷牢に閉じ込められていたといいます。
子供が戦いに行って親が生き残っているのはなんだか妙な感じがします。
誘拐されたわけでもなく赤紙1枚で素直に子供を戦場に送った親たちは
どれだけの覚悟ができていたんだろうって思います。
戦後、護郷隊の隊長だった将校が沖縄に来て
1軒1軒家をまわって手をついて謝ったといいます。
どの面下げて来れたのか?と思いますが彼らは彼らで苦しかったのでしょう。
一方、戦後の電話インタビューで全然悪びれもなく
「民を虐げて軍が横暴を振るうということは無かったと私は断言できますよ」
と言い切った元将校も居ます。
波照間島の悲劇
波照間島にも陸軍中野学校出身の軍人が送られていて
学校の先生として赴任していました。
男は「山下虎雄」と偽名を名乗っていました。
初めは優しくユーモアのあるいい先生だったのに
急に恐ろしい軍人になって軍刀を振りかざし
島民1500人を西表島に強制移住させました。
「軍事作戦遂行上、戦力にならない老人や女子供は事前に移住させること」
という軍の取り決めがあったのです。
その際に島民の2000頭ほどいた牛や馬やヤギなど家畜は
みんな殺されて沖縄諸島に配備された日本軍の兵糧になりました。
移住させられた島民はジャングルの中の粗末な小屋で
ロクに食べ物もない中、次々にマラリアに感染していきました。
波照間島の島民は戦闘がなかったにも関わらず500人もの人が亡くなりました。
たった一人の軍人が島民全員を動かしてここまでの悲劇に導いたのです。
こんな事ができるのかと驚きます。
彼はおそらく島民を移住させて任務を完了したのでしょう。
島民の移住先の悲劇を見なかったのだと思います。
だから「いい仕事したぜ」くらいに思っていて悪いとは思っていないのだと思います。
しかし特別な任務を負った将校が居なくても
敗残兵達が住民をスパイとみなして殺していった悲劇もあります。
スパイリストと住民虐殺
「住民が敵に捕まればスパイになる」と
沖縄北部の敗残兵達が恐怖に支配され
「スパイ容疑住民リスト」を作って上から順に殺していきました。
地域の有力者や学校の先生たちが集められ
住民を監視、密告する秘密組織を作っていたといいます。
敵と通じたら殺されて当たり前。という感覚を住民たちがもっていて
疑われたら最後。
人が殺されたのを見ても殺した側に村の青年団の人間が関わっているとかで
表ざたにならないでヒッソリと島の秘密にされる。
これはなかなかに気持ち悪い。
いかにも島っぽい閉塞感を感じますが
本州でも今でも十分起こりえる事だと感じます。
というかもう始まっている?
軍隊は何を守るのか?
「護郷隊」「戦争マラリア」「スパイリスト」これらを見ていると
「軍隊は住民を守らない」という姿勢が見えてきます。
守るどころか利用して捨てる。
軍隊は敵と戦うのが目的で住民を守ることが目的ではないのです。
住民が殺されても国土が焦土になっても戦って何を守るのか?
国体。国の体裁、国の体面、国家権力を守るのだそうです。
昔のことではなく今の自衛隊の規範にも
敵と戦うために住民を利用し、捨てるような事が書かれています。
2016年から南西諸島の自衛隊増強が始まっています。
軍事基地がおかれた土地では必ず秘密戦が繰り広げられます。
そして敵からしたら真先に攻撃対象になります。
戦後70余年たって何をまた繰り返そうというのでしょう
何を信じるのか?
なんでこんな事になるんだろうって思いますけれども
みんな 信じてはならぬ相手を信頼してしまったんだな、と思います。
そこには
「どうしたらいいのか分からないので決めてほしい、導いてほしい」
という思いがあると思います。
一度信頼してしまったら
「あの人が言うんだから間違いない」とか
信頼とはまさしくそういうものでありますが
状況が悲劇化しても素直に従い続けている。
アメリカ軍という果てしなく恐ろしい敵がいるからかもしれませんが
スパイ戦をやっている割に敵の事はあまり分かっていなくて身近な人を疑ってばかり。
みんなで力を合わせて強大な敵に立ち向かう。というのとはちょっと違う。
みんなちょっとづつ「なんか変だな」「なんか変だな」と思いながら突っ走っています。
みんなの「なんか変だな」をちゃんと表現できたらもっと大事なものを守れたかもしれません。
でも「なんか変」というのは「なんか変」で謎めいていて確信がないのですね。
正しい情報が無いのと 真実を見極める勇気が無いから
情報は隠されて勇気あるものは黙らされて
エライ人の都合の良い方向に動かされる。
動かされるなんて初めだけで
エライ人のいう強い言葉を信じて付き従った方が生きられる気がするのですね。
どんどんノリノリになってエライ人に褒められる生き方をしていく
エライ人に逆らう人を叩いて喜ぶ。
褒められないまでも怒られないよう大人しく付き従うのも
勇気あるものに「やめときなよ」とか言って黙らせるのも
それは確実にその人の選んだ生き方です。
意識してなくても流される事を選んだ事になるんです。
日本人は協調性と和を尊んで和を乱すものを悪いもの、とするので
平和とかみんなで仲良く笑顔で とか言っているうちに
犠牲を払うことになって行ってる気がします。
民だけでなく軍人も職務に忠実に動いているうちに悪魔的な仕事を成してしまっています。
個より公を、プライベートより仕事を大事にする。
日本人の性格の長所と思えるところがどんどん裏目に出てしまっている気がします。
日本人の性格上よくある「責任を曖昧にする」という弱虫な面が見えます。
少なくとも日本は戦後処理に置いて戦争責任を全体に負ってしまって
各個人の責任を曖昧にしてしまいました。
これだから「戦争の悲劇を繰り返さない」と思っていても相変わらずな所が多くあります。
同じ敗戦国でもドイツはこの辺めちゃめちゃ厳しく
戦争中 将兵だった人は地の果てまでも追いかけ回して責任追及されます。
上からの命令でも実行した人は罪に問われています。
それが分かっていれば自分の意志で命令を実行するかどうか選ぶのでしょう。
こういう時代だから戦争だから「仕方がない」って言ってしまったら
この上ない地獄を見ることになる。
「戦争の悲劇を忘れない」というのは米軍の攻撃以前にこういった
「「なんか変」を受け入れているうちに目の前が地獄になること」を覚えておく事だと思いました。
この映画の中で好きなエピソード
「スパイリスト」の中に18歳の少女が入っていたというエピソード。
それは少女までもスパイ容疑で殺すつもりだったという恐ろしい話ですが
彼女は家族とともに海の近くの家に住んでいて
海軍の雑用を手伝う仕事をしていて大きな倉庫で作業をしたことから
スパイリストに載ってしまいました。
彼女の家には敗残兵達が食べ物を貰いにたびたび来ていて
お母さんが兵隊さんに食べ物を渡すよう娘に言っていて
時には自分たちの食べる分が無くなる事もあったのに食べ物をあげ続けました。
ある晩一人の兵隊さんが海を泳いで渡って
「ヨネちゃん 殺されるから逃げて」と伝えに来ました。
けれどお母さんは「殺すなら殺せ」と逃げも隠れもせず堂々とその場に居つづけました。
家族は無事に戦後を迎えました。
そしてある日
当時一家に世話になった兵隊さんが訪ねて来て
敗残兵の隊長が「ヨネちゃんとスミちゃんを殺すやつは私が殺す」と言っていたことを知ります。
私はこのエピソードがこの映画の中で最高に好きです。
こんな状況下でも人の情けがあるのを感じますし
お母さんが立派です。
このお母さんには揺るがぬ信念があると思います。
カッコいい!
無事に戦後を迎えられて
当時世話になった兵隊さんが訪問してくる。というのもいいですね。
兵隊さん達にとってもこの家族、娘さん達が心の支えとなっていたのでしょう。
このお母さんは兵達が悪さをしないと信じていたのでしょうけど
その人を信じる前に自分を信じていたのだと思います。
トークショー
たまたまですが上映後に監督とゲストによるトークショーがありました!
この映画は三上智恵監督と大矢英代監督のジャーナリストお二人が監督で
大矢監督が若くてビックリです!
こんな若い方がこんな重たい内容の取材をしてこられたのかと思うと
ますます一層すごいすごい!!と思ってしまいます。
ゲストはジャーナリストの金平茂紀氏でした。
この映画はもともとTVの企画だったそうですが
「沖縄って数字取れないんだよねー」とか言われて放送できなくて
思い切って映画にしたそうです。
映画でも「沖縄って数字とれないんだよねー」って言われるそうですが
上映したら映画館が満員で三上監督がとても喜んでいました。
さぞ胸も潰れんばかりに心配だったと思います。心中お察しいたします(-人-)
最近はとくに沖縄の問題提示系はTVで放映されにくくなっているといいます。
クラスにイジメがあるのにそれを意図して無視する姿勢。
これが一番怖いと金平さんが言っていました。
本当にそうだと思います。
こういった映画の存在を世の中にアピールするのは意味があると思っています。